古代の漢方

漢方歴史/「古代」

殷代の甲骨文などには「医」「薬」といった文字は見当たらず、まだ人々のあいだに医療という概念がなかったものと思われるが、やがて※1巫祝(ふしゅく)と呼ばれる、集落の神事とともに人々の病も癒すシャーマン的存在があらわれることになる。最初の医療は、今でいう「占い」「魔よけ」にあたるものが主流であったが、やがてそこへ※2生薬などの「薬物療法」や、※3鍼灸の原初的段階が組み入れられていく。それとともに巫祝も、巫を専門とする神官的な存在と、医を専門とする医師的な存在に別れていったと考えられている。
こうして秦以前にも※4扁鵲(へんじゃく)などの名医の存在が数々の記録に残っており、たとえば扁鵲は六不治の一つとして「巫を信じて医を信じざればすなわち不治」をかかげ、すでにこの時代に医者とシャーマン的な存在、すなわち医学と宗教ははっきり分離していたことをうかがわせる。


※1)
巫(ふ、かんなぎ)は、巫覡(ふげき)とも言い、神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝えることを役割とする人々を指す。女性は「巫」、男性の場合は「覡」、「祝」と云った。「神和(かんな)ぎ」の意。 シャーマニズムによるシベリア、アメリカ原住民、アフリカなどにみられるシャーマンも同様である。
シャーマン/呪術(じゅじゅつ、magic)とは、人類の初期社会や初期文明において、押並べて発生したとされる、祈祷や占いなど神託としての運命の決定やそれらを指針とした政(まつりごと)、民間治療ともいわれる呪術医療(呪術医)と生活の糧を得るための「狩り・漁り」による薬草や毒草の知識や使用、または呪い(まじない)や呪い(のろい)や祓い(はらい)といわれる祈祷師による神霊の力の利用をさし、原始宗教でもある文化人類学におけるシャーマニズムとアニミズム、それぞれの観念や行為にともなう呪文に代表される形式や様式や儀式をさす[1]。

※2)
生薬(しょうやく,きぐすり、Crude Drugs)とは、天然に存在する薬効を持つ産物から有効成分を精製することなく体質の改善を目的として用いる薬の総称である。

※3)
鍼灸(しんきゅう)とは、皮膚または筋膜などの体表部位に特定の刺激部位(古来経絡・経穴と呼ばれてきた)を選択し、鍼や灸を用いた刺激を与えることで、各種疾病に対し治療的な介入を行なう東洋医療技術である。戦国から後漢(B.C.5世紀~A.D.3世紀)にかけての中国において成立した物理療法であり、近世まで東アジア各国で発展し、現在ではアジア各国は勿論、欧米でも広く活用されている。1996年10月28日-11月1日にイタリアで開かれた会議で採択された報告書を基に1999年にはWHOより鍼治療の基礎教育と安全性に関するガイドラインが発表された。[1]

※4)
扁鵲(へんじゃく)とは、古代中国、とくに漢以前の中国における、半ば伝説的な名医である。

[古代~中世]
日本には朝鮮半島を通じて、あるいは遣隋使・遣唐使によって中国から伝えられた。8世紀に日本に戒律を伝えた鑑真は医学にも精通したとされ、756年に崩御した聖武天皇の遺物を納めた東大寺正倉院には多くの薬品が納められている。982年には現存する日本最古の医書『医心方』が丹波康頼によって編纂された。13世紀頃には禅宗の僧が医学の担い手となった。14世紀を代表する医師として『頓医抄』の梶原性全や『福田方』の有隣が知られている。